祝宴の中心に。

2011.8.28 主日礼拝 ルカ14:1~24
宴会への出席を断った人の喩えでした。主人は怒ったのです。なぜか。来てもこなくてもいい人を招いたのではないから、来なければならない人が来ていないからです。なぜ来ないのか。牛を買ったから、畑を買ったから、結婚したばかりだから。それも大事なことかも知れない。でもあなたを欠いてはこの宴会は成り立たない。それが神様の招きです。私たちの大きな間違いがここで知らされる。神様の招きは、私たち一人一人に向けられているのです。その時に、下から目線と言いますか…そういうことはあまり言いませんけれども…天の高くいらっしゃいます神様が、その憐みの中にこの私も加えてくださっているなとは考える。それは間違いではない。でも自分は招かれた大勢の中の小さな一人と考える。末席が用意されている程度で、自分一人くらいいなくても問題にならないと。そこが間違いなのです。
 ここには、「この私が行かなければ神様の中に喜びがない」、それほどの神様の招きがあるということです。この宴はあなたを欠いては成り立たないのだ。神様の招きの真ん中に、あなたの席がありますよと。そのように私たちは考えなければならないのです。そのように考えたことがあるだろうか。そういうことは、ここにいる私たち自身も考えてみる必要がある。神様の招きの真ん中に自分の場所があり神様はそこに私を呼んでくださったのです。どうしたって私が行かなければならないのです。
 あなたのために神様は全てを注ぎこんでいらっしゃる。イエス様が十字架に架かられたその時、その命をこの私どもの救いにかけてくださったということを、私たちに向けて明らかにしてくださったのではないでしょうか。イエス様の命をこの自分のために…この私のために投げだしてくださった。その神様がイエス様の命をかけて、私たちを「さぁ、いらっしゃい」と、招いていらっしゃる。これが神様のお招きなのです。そういう招きに私たちはいつもいつも迎えられているのです。そういう招きのもとに置かれておるのです。毎日毎日を、あるいは主の日ごとに、あるいはこの生涯の全てにわたって、私たちはこの自分が、この私が、こうした神様の大事を注がれた招きによって呼び出され、日々、生かされようとしている。何をするにしてもそこに、心を向けて行かなければならない。(8/28 主日礼拝 ルカ14:1~24節)

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